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10日、木曜日にバンクーバーを経ち、予定時刻より40分ほど遅れてオタワに着いた。
荷物が出てくるのを待って、タクシーで家へ帰ったのは、AM1時すぎ。
そこから、冷蔵庫へ入れる物だけをスーツケースから取り出し、さぁ~眠くないけど(時差ボケの為)寝ようかな??って思ってたら、メールが来たよ!とブラックベリーが告げた。
何何・・・って見てみると、地震!!実家は大丈夫との事。
ツイッターを見てみると、みんながつぶやいてる。
鞄の中にしまってあったPCを開け、ネットで状況を確認するとげぇ~~~~~
あわてて実家に電話したけど、もちろん繋がらず。
姉にメールを送ったけど、もちろん繋がらず。
気だけが焦ってしまい、自分自身で冷静な判断が出来なかった。
こっち時間の4時過ぎ(日本時間11日午後6時頃)に、姉からメールが来た。
姉は大丈夫、幸い、この日は有給を取っており、家に居たとの事。
もし、会社に行ってたら、家に帰ることは不可能だったかもしれない・・・
しかしながら、両親とは連絡付かず。
姉も連絡してるけど、電話は繋がらない・・・
一応、携帯は持っているが、ほとんど使ってない携帯なので、もちろんスイッチONにしているわけがない。
メールなんて出来ないし、電話が繋がるのを待つしかないのか・・・
そんな時、実家の友達が、わざわざ実家の近くへ見に行ってくれ、灯りが付いてた(実家では自家発電器があるので。)から、大丈夫だと思うよ!とメールをくれた。
ホッ!
持つべき者は良き友達ですなぁ~~
ちょっと安心して、私もひと眠りすることに。
すでに朝5時になっていた。

翌朝、7時には起き、日本の状況をネットにて確認。
それは、それは、酷い状況で、映画のワンシーンでも見てるかのようだった。
あんなことが実際に起こるんだ・・・
自然の力って恐ろしいぃ~~。

両親の事も気がかりだけど、日本にいる友達の事も気がかりで、いつ届くか分からないメールをしまくった。
そしたら、ドコモ宛てのメールは、案外届いて、大変な状況なのに返事をちゃんとくれた。
中には、電気がなく、真っ暗のなか、メールで励ましてもらって元気がでたよ!lって言ってもらえたら、こんな私でも役に立てたんだ!と思うと嬉しくなった。

親とも話すことが出来、家の被害はあったものの、家があるだけ良しと思わないと。
それに、両親はちゃんと家で眠ることが出来てるんだから・・・
友達の中には、車の中で寝た、電気がない、家が海岸近くなので、高台に避難した・・・とかという事を聞くと、家は恵まれてる方なんだなぁ~って思った。

実家では、電気はたまに切れるけど、生活出来ると言ってたし、お水は止まってるけど、幸いなことに井戸水があるっていうし、冷蔵庫の中には、買いだめしてある食糧があるっていうし、こ~考えると、本当に家は恵まれてる方かもしれない。

余震はまだ続いてるみたいだけど、これ以上の大きな地震が来ないことを祈るだけです。

私の母の実家は岩手の気仙沼の近くなんです。
田舎なので、隣近所が皆知り合いみたいな場所なので、みんなの安否が気がかりです。
仙台に居る叔母とも、まだ連絡が付かないし、本当にいつになったら平穏な生活に戻れるんだろう。
これ以上、年老いた両親を苦しめないで欲しい。

それにしても、私って何ていうか・・・
実は、私が日本に居る時(あと3日でカナダへ帰る)に、同居人の母危篤という一報が入った。
カナダタイム3日、日本タイム4日。
まだ、わからないから・・・ということで、その時は待機ということになった。で、やはり、カナダへ戻ろう!と思った時は、日本が週末。
航空会社のオフィスがお休み、カナダへ電話をしたけど、待てど暮らせどオペレーターに繋がらない。
結局、義母は3月5日(日本時間6日)に帰らぬ人となった。
私の帰国は8日、葬儀には出たかったが、それも間に合わず。
日本の方が後だったら、私は行けてたのに・・・

おまけに、8日に私が日本を出てから、11日に日本で地震って!!

私って、誰の役にも立ててない。
こんな自分が腹立たしく思う。
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